1/7閉店 丸正総本店
- 2022/01/07
- 23:27
東京都新宿区四谷。
東京メトロ丸の内線の四谷三丁目駅すぐのところに、丸正総本店はあります。
こちらの店舗は2022年1月7日をもって一時閉店し、建て替えのため解体されます。
閉店前日と当日に訪れましたのでご紹介いたします。
1月7日の閉店当日は16時30分に訪れたのですが、その時点で商品を全て売り切っており、閉店していました。当ブログで過去に訪れた丸正チェーン各店においても、積極的な閉店セールを開催する店舗は皆無で、仕入れを減らして値引きを行い、在庫を処分していくのみでした。大手チェーンが閉店直前においてもチラシ販促を行い、集客を狙うのとは対照的に、次第に売場がスカスカになっていく寂しい閉店セールとなっています。特に丸正総本店においては年明け三が日が休業で、4日から7日までの営業となっており、生鮮品や惣菜も相当絞り込まれた状況だったようです。
閉店前日の夜にも訪問しておりますので、閉店前日の模様からご紹介いたします。
1月6日、首都圏に大雪が降り、首都高では立ち往生が発生するなど混乱した夜となりました。

別角度から。「生鮮食品大型スーパー首都圏出店目標300店」のネオンが光り輝いています。

閉店前日の時点で、店内の商品はほとんど無くなっており、がらんとした売場が広がっていました。
2階にはほとんど商品がありませんでしたが、エスカレーターは稼働しており、2階にも行くことが出来ました。
2階エスカレーター上がってすぐの青果売場。

反対方向から。

続く鮮魚売場。

売場には紅白幕が飾られています。

冷蔵ショーケースにはビニールカーテンが下ろされていました。

こちらは精肉売場。

日配品も売り切れ。


冷凍平台ショーケースにはアイスクリームが少しだけ残っていました。

古めかしい垂れ幕。

パン売場も完売。

ここからは1階売場の様子です。
惣菜売場に惣菜は無く、調味料などが置かれていました。

加工食品の棚もスカスカ。

酒類も半額とは気前がいいですね。

充実していたビールやワインも完売していました。

菓子コーナー。

雑貨売場には少し商品が残っていました。

丸正プライベートブランドのポン酢やジャム、食べるラー油などを販売。

「50年間ご愛顧いただきありがとうございました」

お客様からの感謝のメッセージも飾られていました。

ここからは1月7日、閉店当日の様子をお届けします。
閉店当日とは言っても16時30分の時点でシャッターが閉められていたため、営業終了後の様子になります。

このあと従業員さんが仮設店舗の案内チラシを配ったりなどで出入りがあるため、半開きになっています。

半開きのシャッター内部。

こちら側のシャッターは完全に閉められていました。

仮設店舗の案内。

解体工事のお知らせ。6月末には解体が終了するようです。

ちなみにこちらが仮設店舗。
総本店から徒歩3分程度、丸正総本部ビルの目の前に建てられました。

近隣には丸正の看板のついたビルがあり、不動産も所有しているようです。
こちらのビルには出店目標の看板が設置されていますね。

四谷三丁目交差点のビル。

閉店後も建物の写真を撮る方を多く見かけました。

2025年秋、この地で再開することを心待ちにしています。

開業時の丸正総本店
1919年に東京四谷で飯塚正兵衛が青果小売業として創業した丸正食品チェーン。かつて首都圏に一大勢力を築いた丸正はここから始まりました。1960年代には鮮魚や精肉なども販売する総合食料品店化へと舵を切り、多くのチェーン加盟店を持つスーパーマーケットのボランタリーチェーンへと成長。1977年にはチェーン100店舗を達成しました。総本店の前身となる店舗は現在の土地に1950年開業。1970年には、目の前の道路が区画整理で広がるのを機に、立ち退き料を資金として建て替えを実施。1971年10月に現在の建物での営業が開始されました。
開業当時の様子は、丸正の創業100周年を記念して2019年に発行された「丸く正しい商いを 愛され続けるスーパー丸正の100年」(ダイヤモンド社)という書籍にこのように綴られています。(文章は参考にして若干表現を変更しています)
地上7階、地下2階の建物で、1階から3階までを売場としていました。1階は「スタンバーグマルショウ・イン・ザ・ワールド」という名称で、輸入食料品や高級食料品、さらにこの機会に始めた冷凍食品のコーナーを置きました。2階は当時の常識を打ち破って生鮮食料品の売場としました。当時は1階に置くのが常識であり、斬新なアイデアでした。もっとも客数が多い生鮮食料品を2階に持ってくることで、帰りに1階でも買い物してもらえるという考えでした。3階は、保存食料品、菓子類、化粧品、ピザスタンドなどを置きました。
営業時間は、午前2時までの深夜スーパーとしてスタート。コンビニエンスストアなどまだ無い時代でした。当時都心で深夜営業をしていたスーパーは、新宿のレックス、青山のユアーズ、四谷のセイフーの3店だけでした。この3店は、深夜帯は昼間よりも高い値段で商品を販売していました。ところが丸正総本店は、昼間と同じ価格で販売したため、お客様からは喜ばれました。
丸正食品チェーンの今後
現在総本店を含めても4店舗にまで規模を縮小させている丸正食品チェーン。経営が独立しているボランタリーチェーンは、加盟企業の経営の独自性を保てる一方で、本部の統制が弱く、加盟店への指導や意思統一が難点とされます。丸正も1990年代以降に競合他社が都心へ出店する中、十分な対抗策を打ち出すことが出来ず、閉店や加盟店の脱退が相次ぎました。ちなみに丸正食品チェーンの最盛期の売上高、店舗数については明確なデータが存在しておらず、過去の新聞記事を見ても振れ幅があります。
「加盟店はあと70店で200店に達する」1985年10月24日、日経流通新聞
「加盟店約90店の88年12月期の売上高は約1000億円」1989年2月16日、日経流通新聞
「東京、埼玉、神奈川を中心に160店の系列スーパーを持つ」1989年3月20日、日本経済新聞
「同社の店舗数は現在119店、今年度売上高1350億円を目指している」1995年3月17日、日本食糧新聞
「首都圏に183店。94年のチェーン店全体の売上高は約1300億円」1995年4月15日、日本経済新聞
「加盟店舗数は現在約180店舗」1997年4月16日、日本食糧新聞
ボランタリーチェーンという性質上、別会社が展開する店舗全てを把握することは難しかったのでしょう。「丸正」と名乗らない加盟店や、コンビニエンスストアサイズの店舗など、カウントするかどうかの基準が曖昧で、正確な店舗数、売上高は不透明です。札幌や京都にも別法人のボランタリーチェーン本部があり(現在は消滅)、全国での店舗数は200店舗を超えていたという説もあります。当然本部はある程度把握しているのでしょうが、公式ホームページには1977年に100店舗達成したと記載されているのみとなっています。今でも総本店の屋上看板には「首都圏出店目標300店」という目標が掲げられていますが、建て替えによってこの看板も見納めになるのでしょうか。
総本店は仮設店舗をオープンさせ、2025年秋の建て替えオープンまで営業を継続する予定となっています。一方、総本店を運営する株式会社ショッピングセンター丸正総本店を除く加盟店は3社3店舗。大井町、武蔵野台駅前、保谷北口の3店です。近隣に競合が少ないため、ここまで営業を続けることが出来ていますが、いずれも年商10億円の大台は厳しい状況です。店舗で働く従業員が自分の店を持つという、スーパーマーケットとしては異色の「のれん分け」によって店舗数を大幅に増やした丸正。フランチャイズなどのビジネスモデルが浸透した現在、同じ手法で店舗を増やすことは難しいと考えられます。本部が主導して新規出店を行うなど新しい取り組みを行わなければ、丸正の将来は決して明るいものではありません。
丸正総本店の売上高は、近隣に競合が出店したもののいまだ高水準を維持していると推測され、再出店も現在と同じような本格的食品スーパーだと予測されます。一方で現在は会議室となっている高層階部分ですが、オフィスやマンションになるのか、テナントを入れるのか注目されます。丸正として参考になりそうなのが、2012年に閉店し2014年に建て替えオープンした御徒町の吉池でしょうか。元々総合スーパー業態で営業していた吉池ですが、建て替え後は上層階にファーストリテイリングのユニクロ・GU、ユザワヤなどを誘致しました。現在はこれといった大型小売店が存在しない四谷三丁目ですが、丸正総本店が賑わいの中心となるのを期待したいですね。
東京メトロ丸の内線の四谷三丁目駅すぐのところに、丸正総本店はあります。
こちらの店舗は2022年1月7日をもって一時閉店し、建て替えのため解体されます。
閉店前日と当日に訪れましたのでご紹介いたします。
1月7日の閉店当日は16時30分に訪れたのですが、その時点で商品を全て売り切っており、閉店していました。当ブログで過去に訪れた丸正チェーン各店においても、積極的な閉店セールを開催する店舗は皆無で、仕入れを減らして値引きを行い、在庫を処分していくのみでした。大手チェーンが閉店直前においてもチラシ販促を行い、集客を狙うのとは対照的に、次第に売場がスカスカになっていく寂しい閉店セールとなっています。特に丸正総本店においては年明け三が日が休業で、4日から7日までの営業となっており、生鮮品や惣菜も相当絞り込まれた状況だったようです。
閉店前日の夜にも訪問しておりますので、閉店前日の模様からご紹介いたします。
1月6日、首都圏に大雪が降り、首都高では立ち往生が発生するなど混乱した夜となりました。

別角度から。「生鮮食品大型スーパー首都圏出店目標300店」のネオンが光り輝いています。

閉店前日の時点で、店内の商品はほとんど無くなっており、がらんとした売場が広がっていました。
2階にはほとんど商品がありませんでしたが、エスカレーターは稼働しており、2階にも行くことが出来ました。
2階エスカレーター上がってすぐの青果売場。

反対方向から。

続く鮮魚売場。

売場には紅白幕が飾られています。

冷蔵ショーケースにはビニールカーテンが下ろされていました。

こちらは精肉売場。

日配品も売り切れ。


冷凍平台ショーケースにはアイスクリームが少しだけ残っていました。

古めかしい垂れ幕。

パン売場も完売。

ここからは1階売場の様子です。
惣菜売場に惣菜は無く、調味料などが置かれていました。

加工食品の棚もスカスカ。

酒類も半額とは気前がいいですね。

充実していたビールやワインも完売していました。

菓子コーナー。

雑貨売場には少し商品が残っていました。

丸正プライベートブランドのポン酢やジャム、食べるラー油などを販売。

「50年間ご愛顧いただきありがとうございました」

お客様からの感謝のメッセージも飾られていました。

ここからは1月7日、閉店当日の様子をお届けします。
閉店当日とは言っても16時30分の時点でシャッターが閉められていたため、営業終了後の様子になります。

このあと従業員さんが仮設店舗の案内チラシを配ったりなどで出入りがあるため、半開きになっています。

半開きのシャッター内部。

こちら側のシャッターは完全に閉められていました。

仮設店舗の案内。

解体工事のお知らせ。6月末には解体が終了するようです。

ちなみにこちらが仮設店舗。
総本店から徒歩3分程度、丸正総本部ビルの目の前に建てられました。

近隣には丸正の看板のついたビルがあり、不動産も所有しているようです。
こちらのビルには出店目標の看板が設置されていますね。

四谷三丁目交差点のビル。

閉店後も建物の写真を撮る方を多く見かけました。

2025年秋、この地で再開することを心待ちにしています。

開業時の丸正総本店
1919年に東京四谷で飯塚正兵衛が青果小売業として創業した丸正食品チェーン。かつて首都圏に一大勢力を築いた丸正はここから始まりました。1960年代には鮮魚や精肉なども販売する総合食料品店化へと舵を切り、多くのチェーン加盟店を持つスーパーマーケットのボランタリーチェーンへと成長。1977年にはチェーン100店舗を達成しました。総本店の前身となる店舗は現在の土地に1950年開業。1970年には、目の前の道路が区画整理で広がるのを機に、立ち退き料を資金として建て替えを実施。1971年10月に現在の建物での営業が開始されました。
開業当時の様子は、丸正の創業100周年を記念して2019年に発行された「丸く正しい商いを 愛され続けるスーパー丸正の100年」(ダイヤモンド社)という書籍にこのように綴られています。(文章は参考にして若干表現を変更しています)
地上7階、地下2階の建物で、1階から3階までを売場としていました。1階は「スタンバーグマルショウ・イン・ザ・ワールド」という名称で、輸入食料品や高級食料品、さらにこの機会に始めた冷凍食品のコーナーを置きました。2階は当時の常識を打ち破って生鮮食料品の売場としました。当時は1階に置くのが常識であり、斬新なアイデアでした。もっとも客数が多い生鮮食料品を2階に持ってくることで、帰りに1階でも買い物してもらえるという考えでした。3階は、保存食料品、菓子類、化粧品、ピザスタンドなどを置きました。
営業時間は、午前2時までの深夜スーパーとしてスタート。コンビニエンスストアなどまだ無い時代でした。当時都心で深夜営業をしていたスーパーは、新宿のレックス、青山のユアーズ、四谷のセイフーの3店だけでした。この3店は、深夜帯は昼間よりも高い値段で商品を販売していました。ところが丸正総本店は、昼間と同じ価格で販売したため、お客様からは喜ばれました。
丸正食品チェーンの今後
現在総本店を含めても4店舗にまで規模を縮小させている丸正食品チェーン。経営が独立しているボランタリーチェーンは、加盟企業の経営の独自性を保てる一方で、本部の統制が弱く、加盟店への指導や意思統一が難点とされます。丸正も1990年代以降に競合他社が都心へ出店する中、十分な対抗策を打ち出すことが出来ず、閉店や加盟店の脱退が相次ぎました。ちなみに丸正食品チェーンの最盛期の売上高、店舗数については明確なデータが存在しておらず、過去の新聞記事を見ても振れ幅があります。
「加盟店はあと70店で200店に達する」1985年10月24日、日経流通新聞
「加盟店約90店の88年12月期の売上高は約1000億円」1989年2月16日、日経流通新聞
「東京、埼玉、神奈川を中心に160店の系列スーパーを持つ」1989年3月20日、日本経済新聞
「同社の店舗数は現在119店、今年度売上高1350億円を目指している」1995年3月17日、日本食糧新聞
「首都圏に183店。94年のチェーン店全体の売上高は約1300億円」1995年4月15日、日本経済新聞
「加盟店舗数は現在約180店舗」1997年4月16日、日本食糧新聞
ボランタリーチェーンという性質上、別会社が展開する店舗全てを把握することは難しかったのでしょう。「丸正」と名乗らない加盟店や、コンビニエンスストアサイズの店舗など、カウントするかどうかの基準が曖昧で、正確な店舗数、売上高は不透明です。札幌や京都にも別法人のボランタリーチェーン本部があり(現在は消滅)、全国での店舗数は200店舗を超えていたという説もあります。当然本部はある程度把握しているのでしょうが、公式ホームページには1977年に100店舗達成したと記載されているのみとなっています。今でも総本店の屋上看板には「首都圏出店目標300店」という目標が掲げられていますが、建て替えによってこの看板も見納めになるのでしょうか。
総本店は仮設店舗をオープンさせ、2025年秋の建て替えオープンまで営業を継続する予定となっています。一方、総本店を運営する株式会社ショッピングセンター丸正総本店を除く加盟店は3社3店舗。大井町、武蔵野台駅前、保谷北口の3店です。近隣に競合が少ないため、ここまで営業を続けることが出来ていますが、いずれも年商10億円の大台は厳しい状況です。店舗で働く従業員が自分の店を持つという、スーパーマーケットとしては異色の「のれん分け」によって店舗数を大幅に増やした丸正。フランチャイズなどのビジネスモデルが浸透した現在、同じ手法で店舗を増やすことは難しいと考えられます。本部が主導して新規出店を行うなど新しい取り組みを行わなければ、丸正の将来は決して明るいものではありません。
丸正総本店の売上高は、近隣に競合が出店したもののいまだ高水準を維持していると推測され、再出店も現在と同じような本格的食品スーパーだと予測されます。一方で現在は会議室となっている高層階部分ですが、オフィスやマンションになるのか、テナントを入れるのか注目されます。丸正として参考になりそうなのが、2012年に閉店し2014年に建て替えオープンした御徒町の吉池でしょうか。元々総合スーパー業態で営業していた吉池ですが、建て替え後は上層階にファーストリテイリングのユニクロ・GU、ユザワヤなどを誘致しました。現在はこれといった大型小売店が存在しない四谷三丁目ですが、丸正総本店が賑わいの中心となるのを期待したいですね。