特集 12年目の被災地(4) 福島県の震災遺構
- 2023/03/11
- 17:00
東日本大震災の発生から、3月11日で12年になります。
今回は、普段の内容とは大きく異なるものの、各地の震災遺構や現在も休業が続く福島第一原発周辺の商業施設などを訪れた記録をご紹介いたします。興味がないという方や、震災でつらい経験があり思い出したくないという方がおられましたら申し訳ありません。特集記事を4つ投稿した後は今まで通りのスーパーマーケットの記事に戻りますので、ご了承ください。
(1)福島第一原発周辺の商業施設跡
(2)岩手県の震災遺構
(3)宮城県の震災遺構
(4)福島県の震災遺構(現在のページ)
という順番でご紹介致します。今回は福島県浪江町の「請戸小学校」と双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」を紹介します。
震災遺構・浪江町立請戸小学校
住所: 福島県双葉郡浪江町請戸持平56
開館時間:9:30~16:30(最終受付は16:00)。毎週火曜日休館。
公式サイト:https://namie-ukedo.com/
福島県唯一の震災遺構として、2021年10月24日に公開されました。震災時学校にいた児童、教職員は全員避難して無事でした。


校舎の1階部分は全て津波にのまれています。








ほとんどの瓦礫は撤去されていますが、印刷室の内部はそのまま残されています。





校舎裏手

他の小中学校では迎えに来た保護者に子供を引き渡す事例もありましたが、請戸小学校では避難を優先させました。

かなり長い距離を避難しています。

体育館。

「電源立地促進対策交付金建物」

卒業証書授与式の横断幕は当時のままです。

内部は床が落ちています。


避難先は当初大平山でしたが、次に役場を目指しました。

通りがかったトラックの荷台に乗せてもらい、役場までたどり着きました。


正面玄関。




震災前と震災後の請戸小学校。


東日本大震災・原子力災害伝承館
住所:福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
公式サイト:https://www.fipo.or.jp/lore/
2020年9月20日に開設された、福島県双葉町にある伝承施設です。未曾有の原子力災害の記録や教訓、復興のあゆみを後世に伝えています。福島第一原子力発電所からは直線距離で3kmほどの距離にあります。
















被災地の写真を展示しています。

宮城県女川市。

宮城県南三陸町。

福島県大熊町。

岩手県陸前高田市。

そして福島第一原発の姿です。

伝承館からは請戸小学校も見えます。


津波によって破壊された消防車。

沿岸部の復興祈念公園は各地で既に整備されていますが、福島県では長らく帰宅困難区域などが設定されていた影響で、現在工事中です。

東日本大震災で地震や津波の被害などで亡くなった人は1万5900人、行方不明者は2523人、長引く避難生活で体調が悪化して死亡する、いわゆる「震災関連死」に認定された人は、これまでに3792人となり、合わせて2万2215人の尊い命が失われました(2023年3月10日NHKニュースより)。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
2011年3月11日、当時私は東京に住む中学3年生でした。地震の瞬間は学校にいましたがすぐに集団下校となり、家でテレビをつけると次々と衝撃的な被災地の様子が報じられていました。一方で数日すると、首都圏では津波による被害よりも、福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の放出の方が、強い関心を持たれていたように感じます。企業CMの自粛により差し替えられた「魔法の言葉で楽しい仲間がポポポポーン」といったACジャパンの特徴的なCMが大量に流れていたことも記憶しています。
当時の私は、テレビの画面で被災地の悲惨な現実を目にしても、どこか自分の生きている世界とは遠い場所で起こっている事のように感じていたと思います。東京23区は計画停電の対象から外れ、スーパーやコンビニの食料品の買い占めも1週間もすれば落ち着き、世間は割と早く平常に戻っていきました。
今回紹介した震災遺構や伝承館は、全て2023年2月に訪れました。2020年3月14日には不通となっていた常磐線が9年ぶりに全線開通し、2021年12月18日には三陸道が全線開通するなど、復興が進んでいるという報道は耳にしており、少し前から被災地を訪れてみたいという思いはありましたが、仕事の都合上連休が中々取れず難しい状況でした。2022年11月に異動があり、基本的には毎週連休が取得できるようになったため、今回車で各地の震災遺構や伝承館、そして福島第一原発の周辺などを訪れました。
実際に津波に襲われた建物やその内部を見学し、津波の威力・恐ろしさをひしひしと実感しました。残念ながらその施設で多くの方が犠牲となった場所もあります。児童と教職員計84人が犠牲となった石巻市立大川小学校では、その日起きた辛く悲しい出来事を想像すると、胸が締め付けられるような思いでした。一瞬の判断が生死を分けるような場面は、東日本大震災で無数にあったことでしょう。テレビで毎年この時期になると報じられる震災特番でも、壮絶な体験をした生還者の声を聴くことが出来ます。
石巻市立門脇小学校の震災遺構の展示の中に、このような文がありました。
-----------------------------------------------------------------------
869年の貞観地震と大津波
1611年の慶長三陸地震と大津波、その後に起きた災害
有史以来、これら過去の災害は記録されてきました
けれども、それが生かされなかったのはなぜなのか
それは、記録されても記憶(伝承)されてこなかったからではないでしょうか
そのことに深く気づかされたのが東日本大震災でした
自然を前にして人間は無力です
祈る事しか叶わないときもあります
けれども、自然とのかかわりのなかで、先人たちが築きあげた歴史と知恵があります
過去に学ぶことの大切さを知ったもの
また東日本大震災でした
わたしたちは
3.11がもたらした学びを
なかった事にしてはいけないのです
-----------------------------------------------------------------------
本来はこのあとにもメッセージが続くのですが、一部抜粋させていただきました。震災遺構を保存することには賛否があり、「つらい被災体験を思い出す」など反対意見が多く撤去された施設も少なくありません。しかし震災から12年が経過し、若い世代には震災の記憶が残っていないという人が増えつつあります。津波被害の痕跡をありのままに残し、震災の脅威や教訓を後世に伝えることで、防災意識の向上が期待されます。地震や水害など自然災害に遭遇した際に、過去の災害の知識があれば失わずに済む命もあるはずです。
津波被害があった被災地における土地の造成や住宅の建設といったハード面で復興事業はおおむね完了していますが、人口減少などの課題もあり、街の賑わいを取り戻せていない地域もあります。この記事を読んでいただき、被災地や震災遺構に興味が湧いたという方がおられましたら、是非東北へ足を運んでください。震災の悲惨さを知ること以外に、観光や飲食するだけでも被災地の応援・復興へと繋がります。
今回は、普段の内容とは大きく異なるものの、各地の震災遺構や現在も休業が続く福島第一原発周辺の商業施設などを訪れた記録をご紹介いたします。興味がないという方や、震災でつらい経験があり思い出したくないという方がおられましたら申し訳ありません。特集記事を4つ投稿した後は今まで通りのスーパーマーケットの記事に戻りますので、ご了承ください。
(1)福島第一原発周辺の商業施設跡
(2)岩手県の震災遺構
(3)宮城県の震災遺構
(4)福島県の震災遺構(現在のページ)
という順番でご紹介致します。今回は福島県浪江町の「請戸小学校」と双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」を紹介します。
震災遺構・浪江町立請戸小学校
住所: 福島県双葉郡浪江町請戸持平56
開館時間:9:30~16:30(最終受付は16:00)。毎週火曜日休館。
公式サイト:https://namie-ukedo.com/
福島県唯一の震災遺構として、2021年10月24日に公開されました。震災時学校にいた児童、教職員は全員避難して無事でした。


校舎の1階部分は全て津波にのまれています。








ほとんどの瓦礫は撤去されていますが、印刷室の内部はそのまま残されています。





校舎裏手

他の小中学校では迎えに来た保護者に子供を引き渡す事例もありましたが、請戸小学校では避難を優先させました。

かなり長い距離を避難しています。

体育館。

「電源立地促進対策交付金建物」

卒業証書授与式の横断幕は当時のままです。

内部は床が落ちています。


避難先は当初大平山でしたが、次に役場を目指しました。

通りがかったトラックの荷台に乗せてもらい、役場までたどり着きました。


正面玄関。




震災前と震災後の請戸小学校。


東日本大震災・原子力災害伝承館
住所:福島県双葉郡双葉町大字中野字高田39
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
公式サイト:https://www.fipo.or.jp/lore/
2020年9月20日に開設された、福島県双葉町にある伝承施設です。未曾有の原子力災害の記録や教訓、復興のあゆみを後世に伝えています。福島第一原子力発電所からは直線距離で3kmほどの距離にあります。
















被災地の写真を展示しています。

宮城県女川市。

宮城県南三陸町。

福島県大熊町。

岩手県陸前高田市。

そして福島第一原発の姿です。

伝承館からは請戸小学校も見えます。


津波によって破壊された消防車。

沿岸部の復興祈念公園は各地で既に整備されていますが、福島県では長らく帰宅困難区域などが設定されていた影響で、現在工事中です。

東日本大震災で地震や津波の被害などで亡くなった人は1万5900人、行方不明者は2523人、長引く避難生活で体調が悪化して死亡する、いわゆる「震災関連死」に認定された人は、これまでに3792人となり、合わせて2万2215人の尊い命が失われました(2023年3月10日NHKニュースより)。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
2011年3月11日、当時私は東京に住む中学3年生でした。地震の瞬間は学校にいましたがすぐに集団下校となり、家でテレビをつけると次々と衝撃的な被災地の様子が報じられていました。一方で数日すると、首都圏では津波による被害よりも、福島第一原子力発電所の事故による放射性物質の放出の方が、強い関心を持たれていたように感じます。企業CMの自粛により差し替えられた「魔法の言葉で楽しい仲間がポポポポーン」といったACジャパンの特徴的なCMが大量に流れていたことも記憶しています。
当時の私は、テレビの画面で被災地の悲惨な現実を目にしても、どこか自分の生きている世界とは遠い場所で起こっている事のように感じていたと思います。東京23区は計画停電の対象から外れ、スーパーやコンビニの食料品の買い占めも1週間もすれば落ち着き、世間は割と早く平常に戻っていきました。
今回紹介した震災遺構や伝承館は、全て2023年2月に訪れました。2020年3月14日には不通となっていた常磐線が9年ぶりに全線開通し、2021年12月18日には三陸道が全線開通するなど、復興が進んでいるという報道は耳にしており、少し前から被災地を訪れてみたいという思いはありましたが、仕事の都合上連休が中々取れず難しい状況でした。2022年11月に異動があり、基本的には毎週連休が取得できるようになったため、今回車で各地の震災遺構や伝承館、そして福島第一原発の周辺などを訪れました。
実際に津波に襲われた建物やその内部を見学し、津波の威力・恐ろしさをひしひしと実感しました。残念ながらその施設で多くの方が犠牲となった場所もあります。児童と教職員計84人が犠牲となった石巻市立大川小学校では、その日起きた辛く悲しい出来事を想像すると、胸が締め付けられるような思いでした。一瞬の判断が生死を分けるような場面は、東日本大震災で無数にあったことでしょう。テレビで毎年この時期になると報じられる震災特番でも、壮絶な体験をした生還者の声を聴くことが出来ます。
石巻市立門脇小学校の震災遺構の展示の中に、このような文がありました。
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869年の貞観地震と大津波
1611年の慶長三陸地震と大津波、その後に起きた災害
有史以来、これら過去の災害は記録されてきました
けれども、それが生かされなかったのはなぜなのか
それは、記録されても記憶(伝承)されてこなかったからではないでしょうか
そのことに深く気づかされたのが東日本大震災でした
自然を前にして人間は無力です
祈る事しか叶わないときもあります
けれども、自然とのかかわりのなかで、先人たちが築きあげた歴史と知恵があります
過去に学ぶことの大切さを知ったもの
また東日本大震災でした
わたしたちは
3.11がもたらした学びを
なかった事にしてはいけないのです
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本来はこのあとにもメッセージが続くのですが、一部抜粋させていただきました。震災遺構を保存することには賛否があり、「つらい被災体験を思い出す」など反対意見が多く撤去された施設も少なくありません。しかし震災から12年が経過し、若い世代には震災の記憶が残っていないという人が増えつつあります。津波被害の痕跡をありのままに残し、震災の脅威や教訓を後世に伝えることで、防災意識の向上が期待されます。地震や水害など自然災害に遭遇した際に、過去の災害の知識があれば失わずに済む命もあるはずです。
津波被害があった被災地における土地の造成や住宅の建設といったハード面で復興事業はおおむね完了していますが、人口減少などの課題もあり、街の賑わいを取り戻せていない地域もあります。この記事を読んでいただき、被災地や震災遺構に興味が湧いたという方がおられましたら、是非東北へ足を運んでください。震災の悲惨さを知ること以外に、観光や飲食するだけでも被災地の応援・復興へと繋がります。