1/31閉店 十字屋山形店
- 2018/01/31
- 23:25
山形県山形市。
JR山形駅から徒歩3分程度のところに、十字屋山形店はあります。
こちらの店舗は2018年1月31日をもって営業を終了いたしました。
閉店当日に訪れましたので、ご紹介いたします。
店舗外観。前面がガラス張りの百貨店らしい外観。

別角度から。

正面入口。ショーウインドーには売りつくしの装飾が。

フロアガイド

閉店のご挨拶。

閉店売りつくしセールのチラシ。

店内で掲示されていた開業当時の写真。

続き。

百貨店の顔である1階の売場から見ていきましょう。
婦人靴コーナー。

化粧品コーナーは小さめ。

地下1階は食料品のフロア。
青果売場。お昼過ぎにはほとんどの商品が売り切れていました。

鮮魚売場。

対面販売の精肉売場。

各種惣菜売場。

お酒売場は閉店当日までに全て無くなっていました。

加工食品も当日までに売り切れ。

百貨店は通常、婦人服、紳士服、子供服、住まいの品と上に向かっていくのですが、
ここは珍しく2階が紳士服です。

紳士カジュアル衣料。

スーツも半額で提供。

売れ残りが多いように感じられました。

3階婦人服売場。

マネキン陳列は多いものの、高級感ある売場ではありません。

あまりお客さんも入っていない様子。

4階も婦人服売り場。

多くの売場で半額セールを開催。

5階婦人服売場。

3フロアに渡って婦人服を展開しています。

6階は子供服のフロア。


紳士、婦人服の催事コーナーも設置されています。

ほとんど商品が無い状態。

7階住まいの品フロア。

食器類の売りつくし会場。

がらんとした売場。

夜には早くも片付けが開始されていました。

寝具コーナー。

8階催事場。

宝飾品は上質感ある売場。

衣料品やカバンが大幅値下げで提供されていました。

8階にはファミリー食堂が設置されています。

閉店直前の精肉売場の様子。

閉店1時間前には食品フロアのほぼ全ての商品が売り切れていました。

閉店挨拶は動画でご紹介いたします。
さよなら、ありがとう。

十字屋山形店 店舗概要
開業: 1971年6月10日
店舗面積: 10362㎡
営業時間: 午前10時 ~ 午後7時30分
住所: 山形県山形市幸町2-8
HP: http://jujiya-yamagataten.com/
十字屋という百貨店は、1923年に神奈川県平塚市で呉服店として創業しました。その後百貨店業態へ進出し、1968年には東証1部に上場。1982年にはダイエーと提携し、最盛期には関東、東北を中心に30店舗を展開していました。しかし、2004年には親会社のダイエーと共に産業再生機構の支援を受けることが決定。2005年には残った店舗のうち仙台店、銚子店、館山店を閉鎖し、山形店は同じくダイエー傘下の中合へ譲渡されました。1981年の最盛期には約100億円の売上がありましたが、昨年度は31億円と大幅に減少。閉店を余儀なくされました。
かつて山形市中心部には大型商業施設が4店舗ありました。地場百貨店の大沼、丸久(のちの山形松坂屋)、ニチイ山形店(のちの山形ビブレ)、そして十字屋です。2000年には山形松坂屋、山形ビブレが閉店し、今回十字屋が閉店することにより、中心部の大型店は大沼のみとなります。1997年と2000年には続けて市の郊外にイオンショッピングセンターが開業。中心部の商業施設は一気に衰退していく事になります。また、山形駅からは仙台駅への高速バスが頻発しており、約1時間でアクセスできるだけあって多くの利用があります。地元の百貨店を利用するのは高齢者ばかりで、20代~30代は仙台へ流れていると考えられます。
十字屋山形店の売場は、決して洗練されたものではありません。売場の改装もあまり行われておらず、売場の照明も蛍光灯が中心。地方都市によくあるスーパーマーケット的な店舗であり、食料品も集中レジで会計する店が多く、お惣菜の量り売りや和洋菓子といった銘品コーナーが少ない印象です。化粧品や衣料品についても魅力ある売場づくり、ブランド誘致が出来ていない状況。飲食店もファミリーレストラン1つとカフェがあるのみで、子供連れの集客は期待できません。結果的に高齢者しか利用しないお店となってしまいました。
今後地方の百貨店はさらに厳しい競争環境に置かれることが予測されます。山形県内で残る百貨店は大沼のみとなりますが、大沼も4期連続の赤字に苦しんでおり、先日には企業再生ファンドから出資を受けました。大沼の児玉社長は「山形の地に百貨店をなくしてはならない」と語ったそうです。2018年1月現在、国内の47都道府県全てに1店舗以上の百貨店が営業していますが、そう遠くない将来にいずれかの地域で百貨店が消滅すると考えられます。
閉店セレモニーには約150人が集まり、別れを惜しんでいました。地元テレビ局を中心に報道も集まっているほか、ホテルで見た地元ニュースでは大きく取り上げられるなど、山形県内では一大ニュースであることが伺えます。しかし、閉店セールは盛り上がっているとは言い難く、都市部の百貨店のように混雑ですれ違えないような状況はありませんでした。8階特設売場でのタイムセールが混雑する程度で、衣料品売場でもレジに列は出来ますが売場にお客さんは少なめ。夕方には地下食料品売場の商品がほぼ売り切れており、閉店時間の直前には全フロア閑散としていました。大手スーパーや都市部の百貨店では閉店直前が最も混雑するだけに、寂しい雰囲気が漂っていました。
JR山形駅から徒歩3分程度のところに、十字屋山形店はあります。
こちらの店舗は2018年1月31日をもって営業を終了いたしました。
閉店当日に訪れましたので、ご紹介いたします。
店舗外観。前面がガラス張りの百貨店らしい外観。

別角度から。

正面入口。ショーウインドーには売りつくしの装飾が。

フロアガイド

閉店のご挨拶。

閉店売りつくしセールのチラシ。

店内で掲示されていた開業当時の写真。

続き。

百貨店の顔である1階の売場から見ていきましょう。
婦人靴コーナー。

化粧品コーナーは小さめ。

地下1階は食料品のフロア。
青果売場。お昼過ぎにはほとんどの商品が売り切れていました。

鮮魚売場。

対面販売の精肉売場。

各種惣菜売場。

お酒売場は閉店当日までに全て無くなっていました。

加工食品も当日までに売り切れ。

百貨店は通常、婦人服、紳士服、子供服、住まいの品と上に向かっていくのですが、
ここは珍しく2階が紳士服です。

紳士カジュアル衣料。

スーツも半額で提供。

売れ残りが多いように感じられました。

3階婦人服売場。

マネキン陳列は多いものの、高級感ある売場ではありません。

あまりお客さんも入っていない様子。

4階も婦人服売り場。

多くの売場で半額セールを開催。

5階婦人服売場。

3フロアに渡って婦人服を展開しています。

6階は子供服のフロア。


紳士、婦人服の催事コーナーも設置されています。

ほとんど商品が無い状態。

7階住まいの品フロア。

食器類の売りつくし会場。

がらんとした売場。

夜には早くも片付けが開始されていました。

寝具コーナー。

8階催事場。

宝飾品は上質感ある売場。

衣料品やカバンが大幅値下げで提供されていました。

8階にはファミリー食堂が設置されています。

閉店直前の精肉売場の様子。

閉店1時間前には食品フロアのほぼ全ての商品が売り切れていました。

閉店挨拶は動画でご紹介いたします。
さよなら、ありがとう。

十字屋山形店 店舗概要
開業: 1971年6月10日
店舗面積: 10362㎡
営業時間: 午前10時 ~ 午後7時30分
住所: 山形県山形市幸町2-8
HP: http://jujiya-yamagataten.com/
十字屋という百貨店は、1923年に神奈川県平塚市で呉服店として創業しました。その後百貨店業態へ進出し、1968年には東証1部に上場。1982年にはダイエーと提携し、最盛期には関東、東北を中心に30店舗を展開していました。しかし、2004年には親会社のダイエーと共に産業再生機構の支援を受けることが決定。2005年には残った店舗のうち仙台店、銚子店、館山店を閉鎖し、山形店は同じくダイエー傘下の中合へ譲渡されました。1981年の最盛期には約100億円の売上がありましたが、昨年度は31億円と大幅に減少。閉店を余儀なくされました。
かつて山形市中心部には大型商業施設が4店舗ありました。地場百貨店の大沼、丸久(のちの山形松坂屋)、ニチイ山形店(のちの山形ビブレ)、そして十字屋です。2000年には山形松坂屋、山形ビブレが閉店し、今回十字屋が閉店することにより、中心部の大型店は大沼のみとなります。1997年と2000年には続けて市の郊外にイオンショッピングセンターが開業。中心部の商業施設は一気に衰退していく事になります。また、山形駅からは仙台駅への高速バスが頻発しており、約1時間でアクセスできるだけあって多くの利用があります。地元の百貨店を利用するのは高齢者ばかりで、20代~30代は仙台へ流れていると考えられます。
十字屋山形店の売場は、決して洗練されたものではありません。売場の改装もあまり行われておらず、売場の照明も蛍光灯が中心。地方都市によくあるスーパーマーケット的な店舗であり、食料品も集中レジで会計する店が多く、お惣菜の量り売りや和洋菓子といった銘品コーナーが少ない印象です。化粧品や衣料品についても魅力ある売場づくり、ブランド誘致が出来ていない状況。飲食店もファミリーレストラン1つとカフェがあるのみで、子供連れの集客は期待できません。結果的に高齢者しか利用しないお店となってしまいました。
今後地方の百貨店はさらに厳しい競争環境に置かれることが予測されます。山形県内で残る百貨店は大沼のみとなりますが、大沼も4期連続の赤字に苦しんでおり、先日には企業再生ファンドから出資を受けました。大沼の児玉社長は「山形の地に百貨店をなくしてはならない」と語ったそうです。2018年1月現在、国内の47都道府県全てに1店舗以上の百貨店が営業していますが、そう遠くない将来にいずれかの地域で百貨店が消滅すると考えられます。
閉店セレモニーには約150人が集まり、別れを惜しんでいました。地元テレビ局を中心に報道も集まっているほか、ホテルで見た地元ニュースでは大きく取り上げられるなど、山形県内では一大ニュースであることが伺えます。しかし、閉店セールは盛り上がっているとは言い難く、都市部の百貨店のように混雑ですれ違えないような状況はありませんでした。8階特設売場でのタイムセールが混雑する程度で、衣料品売場でもレジに列は出来ますが売場にお客さんは少なめ。夕方には地下食料品売場の商品がほぼ売り切れており、閉店時間の直前には全フロア閑散としていました。大手スーパーや都市部の百貨店では閉店直前が最も混雑するだけに、寂しい雰囲気が漂っていました。