兵庫県姫路市。
JR姫路駅から徒歩5分程度のところに、ヤマトヤシキ姫路店はあります。
こちらの店舗は2018年2月28日をもって営業を終了しました。
閉店当日に訪れましたので、ご紹介いたします。
店舗外観。
駅と姫路城との中間に位置しています。

別角度から

屋上広告塔

商店街にも面しており、入口は4カ所確保。

東京では珍しい回転扉も設置されています。

111年間のご愛顧ありがとうございました。
かつてここまで長期間の歴史を語った百貨店があったでしょうか。
通常なら創業からでなく建物が出来てからを表記するのですが。

閉店の挨拶。

フロアガイド。

地下1階は食料品のフロア。
改装されておりきれいで明るい売場ですね。

青果売場は早い段階で売り切れが多くなっていました。

惣菜専門店などは少なめ。

加工食品売場。

和日配コーナーも棚がスカスカ

閉店間際には多くのお客さんで賑わっていました。

商品の無くなった鮮魚売場。

1階の和菓子コーナー。

化粧品売場。

あまり広くはありません。

2階婦人服売場。
テナントによっては25日に先行して閉店しています。

婦人服飾売場。

婦人服売場。

3階婦人服売場。

スポット照明も多く上質感ある売場に仕上がっています。

子供用品のコーナー。

子供服の催事が行われています。

4階婦人服。

50%オフなどのセールを開催。


5階にはユザワヤが入居。

生活用品の売場。

6階には1フロアで大塚家具が展開。

家具や寝具をライフスタイルを想定して展示。

価格帯はかなり高い印象を持ちました。

売場は通路が広くゆったりしています。

食器の催事コーナー。

7階の催事場。

8階はレストラン街。

屋上は閉鎖されています。

ヤマトヤシキカルチャー教室。

閉店の瞬間は動画でお届けします。
ヤマトヤシキ姫路店 店舗概要開業: 1951年11月
閉店: 2018年2月28日
店舗面積: 17051㎡
住所: 兵庫県姫路市二階町55
HP:
http://www.yamatoyashiki.co.jp/h_index.htmlヤマトヤシキは、1906年に創業した米田まけん堂が始まりとなっています。1951年には現在の新店舗を開業。ヤマトヤシキの屋号は数多くの商店が仲良くという意味で「やまと(=大和)」、一つ屋根の下という意味で「やしき(=屋敷)」と考えられたそうです。
ピークとなる1992年には279億円を姫路店のみで計上していました。その後2001年には倒産した加古川そごうの跡地に出店。出店前には売上高177億円にまで落ち込んでいたものの、2003年の時点では2店舗合わせて274億円の売上にまで回復。しかし郊外に大型ショッピングセンターが相次いで開業し、2015年にはJR姫路駅に大型専門店「ピオレ姫路」がオープンするなど競合が激化。昨年度の姫路店の売上は、加古川店を含んで122億円となっています。加古川店の方が売上が高いことを考えると、姫路店の売上は50億円程度だと考えられ、最盛期の約2割にまで低迷しています。
業績の悪化に伴い、2015年にはマイルストーンターンアラウンドマネジメント(MTM)による経営再建がスタート。食品売場の改装や大塚家具の誘致などを進めましたが、今回閉店が決まりました。建物は解体されますが、跡地の商業施設の具体案は決まっていません。立地は良いので、テナントとして大塚家具やユザワヤだけでなく、大手ファストファッションや家電量販店などを入居させて営業を継続する手段もありそうですが、建物の老朽化が深刻なようです。増築を繰り返したとは言え、開業から67年の百貨店は全国的にも珍しいでしょう。
売場は地方百貨店で、しかも狭い売場面積にも関わらず上質感あるものです。特に地下食料品売場は白いタイルが敷き詰められた明るい売場で、都心のデパ地下と遜色ありません。レストラン街にも魅力あるテナントが揃っています。和洋菓子や衣料品で有名ブランドを確保出来なかったのは厳しいですが、山陽百貨店というライバルが無ければ十分支持される百貨店だと思います。地方都市において2つの百貨店が限界だったのでしょう。
閉店セールは催事場などで賑わっていましたが、通常の衣料品売場は閑散としており、寂しい営業終了日となりました。閉店セレモニーには500人を超えるお客さんが集まり、別れを惜しみました。ご愛顧ありがとうございました。という短い言葉のみでしたが、大きな拍手が送られました。警備員や店員の案内が無かったため現場は混乱し、場所取りや押し合いなどについてはさすが関西人だなと思う場面もありました。